古きウェルシュ・ウイスキーの魅力に酔う|Wales Now Vol.35

発行日:2018. 2. 15

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コンウィ城が2017年ウェールズで最も訪問者の多かった歴史建造物に選ばれる

北ウェールズの世界遺産コンウィ城が、2017年にウェールズで最も訪問者の多かった歴史建造物に選定されました。2017年はウェールズ観光局による「Year of Legend(伝説の年)」のキャンペーンの一環として、ドラゴンの巨大なモニュメントが登場するなどのサプライズも。結果、21万8,907人の来場を記録しました。今年も「Year of the Sea(海の年)」のキャンペーンで地元民と観光客を楽しませる、様々な企画が予定されています。


“ウェールズにおけるウイスキーの歴史は17世紀ごろまで遡ります。
蒸留酒の歴史ということでは、スコットランド・アイルランドよりも古いはずです。”


ウイスキー文化研究所 代表・ウイスキー評論家・編集長 土屋 守(Mamoru Tsuchiya)さん

日本におけるシングルモルトウイスキーの権威、業界の草分け的存在、未だ殆どの人がシングルモルトと言う言葉を口にしない時代からその魅力の虜となり、2001年にスコッチ文化研究所を立ち上げるなど、様々なステージでウイスキー文化普及に尽力されているウイスキー文化研究所代表の土屋 守さんに、ウイスキーとの出会いのきっかけ、ウェールズとウイスキーの関係そして、ご自身の体験・思い出を交えてウェールズの魅力についてお話を伺います。

ー 土屋さんの自己紹介をお願いします。特に気になるのは、ウイスキーとの出会いですが。
元々、新潮社で記者をしていましたが、33歳の時に英語を習得しようと英国への渡航を決意しました。家内、娘の3人でケントのPettswoodに居を構えました。1988年から1992年まで住みましたが、あるとき 現地旅行会社Euro Japanから英国駐在員向けの情報誌の立ち上げで相談を受けました。当時はバブル真っ盛りで、1988年頃は多くの日系企業が英国進出、多くの日本人駐在員がロンドンに住んでいました。その雑誌とは『月刊ジャーニー』と呼ばれる情報誌で1988年に創刊、当時は学生をしながらアルバイトと言う形で仕事を始めました。ジャーナリズムについても興味がありましたので、とても良いお話をいただきました。翌年1989年には編集長のオファーをいただき、これは私の人生計画の大転換となりました。家族と相談、編集長として仕事を受けることにしました。これを機に、英国中を取材することとなり、まさにこの決断が私のウイスキー人生の始まりとなりました。

土屋さんのご著書

ジャーニーでの最初の取材先が1989年1月、スコットランドのエジンバラでした。スコットランド政府観光局からの要請で日本人駐在員・観光客向けの取材で、何を売りにするかの相談を受けていると、観光局の担当者から聞いたこともないシングルモルトの言葉が。とりあえず、シングルモルトとは何ぞやということで、その後運転手付きでスコットランドの蒸留所を巡りました。その時私が出した取材条件は、釣りが出来る場所としたのですが(笑)喜んで連れて行ってくれましたよ。趣味の釣りを堪能させていただいたんで、ロンドンへ戻り原稿を書くこととなったんですが、いざシングルモルトの文献を探すとなると全然ないんです。締め切りが近くなり、ロンドンにある書店Foylesへ行き、店員にシングルモルトの本を探してると告げたのですが知らないと言われ、実際に売り場へ行くとウイスキーの本が1、2冊程度、後はワインの本が並んでいました。原稿を書くために四苦八苦しましたが、ある方の伝手で、1989年にベン・ネヴィスを買収したニッカウヰスキーロンドン事務所の方をご紹介いただき、シングルモルトのことを教わりました。ロンドン・ソーホーにある酒屋の老舗、ミルロイズのオーナーのジョン・ミルロイズさんともジャーニーの広告の関係で交流が始まり、様々な人と人のつながりで自分のシングルモルトに関する知識を養うことができました。

ー そこからさらに深くシングルモルトの世界へ、ご執筆活動、そして文化研究所を立ち上げられたのですね。
1992年、古巣の新潮社からシングルモルトについて、トンボの本を出しました。共著でしたがこれが私の最初のシングルモルトの本でした。この頃には、もっとシングルモルトを突き詰めたいという強い思いが芽生え、娘の教育等を考えて1993年帰国をしました。帰国後、私のシングルモルトへの思いの集大成とでもいえる大作、小学館から1995年にモルトウイスキー大全を出しました。累計10万部売れ、日本のシングルモルトウイスキーブームの火付け役となったようです。

それから1人での情報収集に限界を感じ、2001年3月にスコッチ文化研究所を立ち上げました。屋号の由来ですが、スコッチを研究するには先ずは文化を知らないといけないと思い、ウイスキーが醸成された文化、歴史を考える意味を込めて命名しました。2008年にはスコットランド以外のアイルランド、ウェールズ、日本のウイスキーそして、アメリカのバーボン文化も包含するべく、会社名をウイスキー文化研究所と改めました。

今振り返ると、ジャーニー時代に初めてシングルモルトに触れ、1992年にシングルモルトの本を出せたこと、シングルモルトが出始めた同時期に自分の仕事が始められたことはとてもラッキーで、運命的な出会いであると感じます。ウイスキーの蒸留所はスコットランドに100しかない、ワインは数千のシャトーがある。自分のポリシーとして、執筆するなら、すべての蒸留所を自ら訪ね、目で見て、現場の人の話を聞く、それが出来ないと自分の納得した文章が書けないと思うからです。

ウェールズのペンダリン蒸留所にて。

ー ウェールズとウイスキーの関係を教えてください。
ウェールズにおけるウイスキーの歴史は17世紀ごろまで遡ります。蒸留酒の歴史ということでは、スコットランド・アイルランドよりも古いはずです。元々ウェールズには2、3軒の蒸留所があったのですが18世紀後半から禁酒法が発効され、酒作りが禁止されました。これは当時炭鉱で栄えたウェールズならではの事情があり、飲酒が及ぼす炭鉱夫の作業への影響を危惧、禁酒法導入に至りました。それから100年蒸留酒製造が禁止され、優秀な人材が続々とアメリカへ流出、彼らはかの有名なJack Daniel’sやEvan Williamsを立ち上げました。ウェールズで禁酒法が敷かれなかったら、これらのビッグネームは存在しないということです。

現在ウェールズで操業している蒸留所はペンダリンのみ、最後の蒸留所が閉鎖されてから約150年後の2000年12月に開所、ウェールズ産ウイスキーの復活で地元は沸きました。150年もの時間が経過、すっかりスコッチやアイリッシュの後塵を拝したペンダリンウイスキーは、競合との差別化を図るべく、世界中どこにも無い蒸留器の開発をイギリスの科学者、Dr. David Faraday(デイビッド・ファラデー博士)に依頼、1回の蒸留で94%まで一気にアルコール度数を上げられる当時としては大変特殊な装置を導入しました。

この蒸留所が誇る一番の特徴は恵まれた水資源です。ブレコンビーコン国立公園の中に位置するペンダリン蒸留所は地下に保水力のある岩盤があり、良質の水が得られることは大きな強みです。以前は、仕込み・発酵はウェールズ最大のビールメーカー、ブレインズから調達し、蒸留・貯蔵・ボトリングを行っていましたが、現在、仕込みからすべてのプロセスを敷地内で出来ることとなり、ペンダリンウイスキーの活躍に期待を寄せています。

ー ウェールズとの思い出をお聞かせください。
ウェールズを最初に訪れたのは『月刊ジャーニー』時代で、通算で10回程は行ってます。Visit Wales(ウェールズ政府観光局)の方から、南ウェールズの取材の依頼があり、カーディフ城、アームズパーク、ラグビー界での伝説と呼ばれている、ガレス・エドワーズの銅像等を見ました。ブレコンビーコン、スゥオンジー出身の詩人Dylan Thomasのボートハウス、ロンダ渓谷、宿泊はあのローラアシュレイの館、スランゴイド・ホールに泊まりました。忘れられないエピソードとしてウェールズはラグビー熱狂国、カーディフ訪問時にガレス・エドワーズのサイン入りTシャツをいただいたのですが、「これを着てウェールズのパブを巡ればどこでも一杯は奢ってくれるよ」と言われました(笑)。さすがウェールズ、ラグビー愛は熱いです。

ペンダリン蒸留所の展示にて。土屋さん撮影。

英国在住中の我が家のホリデーは、英国のカントリーコテージで1週間滞在、自然を満喫することでした。条件として、趣味の釣りが出来るところ、そしてコテージに暖炉があるところでした。ウェールズでは湖によく出掛けましたし、セバーン川ではパイクを釣り、ダム湖ではトラウトを釣りました。北ウェールズのアングルシー島、コンウェィも行き、当時5歳だった娘がコンウェィ城の城壁の上で遊んでいる姿を今でも憶えてます。ウェールズは私たち家族の思い出が一杯詰まってます。

ペンダリンウイスキーに加えて、ウェールズには最近、もう一つ新しい蒸留所が出来たと聞いています。これからのウェルシュウイスキーを応援しています。

ウイスキー文化研究所: http://scotchclub.org/
ペンダリンウイスキー: http://penderyn.wales/


“ウェールズにいらしたら、Môn Mam Cymru (ウェールズの母 アングルシー島)への橋を渡るのをお忘れなく”


日本ウェールズ協会会員 キャサリン長島(Catherine Nagashima)さん

日本在住ウェールズ人で、日本ウェールズ協会 会員のキャサリン長島さん。昨年はNHKプレミアム「おかわりニッポン」に出演され、ウェールズの伝統料理をその歴史とともに披露されたばかりです。人に歴史あり。キャサリンさんに故郷ウェールズの思い出や、日本に来た経緯を伺いました。

ー ご出身はウェールズのどちらですか?
イギリス人の母とウェールズ人の父を持ち、ロンドンで生まれました。第二次世界大戦が始まる少し前、生後5カ月のときに家族で祖母の家があった北ウェールズのアングルシー島に移住しました。はじめに世界一長い駅名で有名なLlanfairpwllに住み、そこから少し先のTalwrnという村や、Conwy ValleyのLlanrwstに住みました。

私のウェールズでの子ども時代と言えば、自宅の庭や学校のグラウンドから眺めた、スノード二ア国立公園の素晴らしい景観が思い出されます。散歩をしたり、ヘーゼルナッツや野生のマッシュルーム、ブラックベリーやワイルドストロベリーを摘んで過ごしました。

キャサリンさんとご両親。1939年、ウェールズにて撮影。

村は、大きな家族のようなものでした。食事は配給でしたが、果物や野菜は自分たちで育てました。配給の紅茶と砂糖を、自給している卵やバターなどと物々交換をしたりして、お互いにやりくりしていました。電気も灯油もなく、バスが出るのはマーケットが開かれる木曜日だけ。主に徒歩か自転車で移動しました。子どもは、どの家庭にも自由に出入りしました。

Talwrnの学校は合唱で有名で、私含めてすべての子どもは合唱部に属していました。毎日、午後は歌を歌って過ごしました。

ー ウェールズのご家族について教えてください。
父はエンジニアで、彫刻を作るアーティストとして知られていました。Talwrnの村には、今でも「Richard Huws artist」と書かれたメモリアルプレートが飾られています。母もアーティストで、パッチワークを手がけます。

ウェールズ最大の芸術祭「National Eisteddfod」は毎年異なる場所で開催されますが、2017年は故郷アングルシー島が会場となりました。私の家族は、そこで母の作品を販売するという特別な機会も得ました。

ー 大学はAberystwyth Universityでいらっしゃいましたよね。
はい、1957年にUniversity College of Wales, Aberystwyth(現在のAberystwyth University)に入学し、地理学を専攻しました。毎年25人しか入学できない非常に競争率の高い学科で、さらに女性は5人までと決められていました。私はその幸運な5人のうちの一人でした。数学と哲学を副専攻しました。卒業後はフランス政府の奨学金を得て、南仏のグルノーブル大学院に留学しました。

ー 日本人と結婚され、来日されたきかっけは何でしたか。
その後ロンドンで働き、スクーターでヨーロッパ中を旅して周った後、ギリシャ・アテネの人間生活研究所に勤務しました。そこでハーバード大学で都市設計を学び、研究員としてアテネへやってきた、日本人の長島孝一さんと出会いました。1965年、ちょうど東京オリンピックがあった年でした。翌年に結婚し、今の住まいである逗子に引っ越しました。

Plaque in memory of her father Richard Huws, erected by Anglesey County Council in 1997

ー テレビでウェールズの伝統料理を紹介されましたが、出演されてのご感想は?
貴重な機会をいただき光栄でした。ただ、私はウェールズの伝統料理における「もったいない精神」を紹介したかったのですが、そういうシーンはカットされてしまったのが少し残念ではありましたけれど。それから、私は半世紀もウェールズを離れているので、私の料理が「ウェールズ料理」なのか自己流の「キャサリン料理」なのか、違いがよくわからなくなっているかもしれないと、自分で思ってしまいました(笑)。

ー 故郷北ウェールズ、アングルシー島の見どころを教えてください。
おすすめはたくさんありますが、Anglesey Coastの絶景はぜひご覧になってください。それからHoly IslandのSouth Stackの灯台は、ハリエニシダの香りと海鳥の声、肌に直に塩風を直に感じられるスポットです。夕暮れどきがおすすめです。

アングルシー島 Ynys Lawd (South Stack), Photo by Iwan Wyn Williams

石器時代の遺跡や、最後のエドワード1世のビューマリス城も見ものです。ビューマリスの街には小さな店や素敵なレストランもあり、街歩きも楽しめます。Red Boat Ice Cream Parlourで、おいしい地元のアイスクリームの味も楽しんでください。それから夏場なら、たくさんのプライベート・ガーデンが特別公開されている時期があります。

ー 日本の読者にメッセージをお願いします。
ウェールズにいらしたら、Môn Mam Cymru (ウェールズの母 アングルシー島)への橋を渡るのをお忘れなく。海を望む絶景と古代の歴史、美しいガーデン、そして最高のアフタヌーンティーが待っていますから。

編集後記

アングルシー島に足を踏み入れた瞬間、そのロマンチックな雰囲気に包まれます。コンウィやスランドゥドゥノとあわせて、ゆっくり訪れたい特別なエリアです。

次号は3月5日に発行予定です。お楽しみに!

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